常識にとらわれていると常識的なことしかできない
こんにちはココロです。
今日は常識についてつぶやいてみます。
生きていくために常識を持って対応することは大事だと思いますが、
常識にとらわれなくてもいい常識も私はあると思うんです。
ん?意味が分からないと思いますが、
まず根本として私が考える常識は2種類あるんです。
一つは社会の常識。
何か人にやってもらったことがあったらありがとうって気持ちをこめて言うとか
何かミスをしたことがあって迷惑をかけたらすみませんと気持ちをこめていうとか。
そしてもう1つは自分の中の常識。
自分はいつも朝パンを食べてるから朝はパンが普通でしょとか
ブランドはやっぱりプラダがかっこいい。一番シックでおしゃれでしょとか。
いわゆる常識は当たり前とされている決まり事。
社会の常識は社会全体の人たち・ある一定のテリトリーの中での決まり事なので
それを単純にやぶるということはきちんとした理由がないと
なんで社会人としてのきまりを守らないのかという目で見られます。
誰かに迷惑をかけることがあれば叩かれたり、場合によっては罪にもなります。
社会の常識については節度をもって、
人に迷惑をかけないように、人との関係が円滑になるような
常識は守って動かないといけません。
私が今回注目する常識は自分の中の常識です。
自分の中の常識は自分の中だけでできあがってる決まり・ルールなので、
変えるも変えないのも自分次第なんです。
今この1分1秒先からルール変えます!って
自分が強く思ってそれを実際に行動を起こせば
1分1秒前とは違う常識をもった自分になれるんです。
自分の中の常識(決まり・ルール・慣れ)にとらわれている限り
常識的(自分の中の決まり・ルール・こだわり・くせ)なことしかできないんです。
社会の常識をくつがえすことはかなりのエネルギーと行動力が必要ですが、
自分の中の常識をうちやぶることはそれとくらべるとびっくりするくらい簡単です。
なぜそんなにも自分を変えることは簡単か?
それは変えないといけない人が一人でいいからです。
他人を変えることはすごく難しいことです。
自分がラーメンが大好きだとして、
他人にラーメンなんか体に悪いから食べるのをやめた方がいいよって言われて
食べるのをやめますか?
たぶんやめないですよね。
体がちょうど不健康になってきたりしているなら話は別ですが、
普通の状態だったら他の人に体に悪いと言われたからといって
わざわざ自分の好きなものを変えたり、やめたりなんてしないと思います。
ラーメンの成分がどうでこうでと
これを食べるとこうなるから、だからやめなよと理由をさらに細かくいわれても
思うことは「ただうざいな」だけですよね。
それくらい他の人の考えを変えることって難しいことだと私は思います。
特に好きだと思っているものを変えることは難しいです。
対1人ならまだしも、これが社会全体、職場全体とかの規模になると
強い影響力・強い正論でもない限り難しいです。
ただそんな他の人から言われても変わらない自分を変えることができる
一番説得力のある人がいます。それは誰かというと、、、、
。。。。。。。
。。。。。
。。。。
一番説得力のある人は自分自身です。
自分の言うことは絶対なんです。自分の言うこと、自分の考えることは
自分にとって一番の意見なんです。
結局最終的な決定権は自分の中にあるんです。
たとえ1年続いたこと、10年続いたことでも
自分がこれはダメだなとか、いやこうしたほうがいいと考えることができて
それを行動にうつせば簡単に変わります。
もっというと、自分の中にあるものは常識ではありません。
単なる自分が生きてきた経験・趣味嗜好・考えの集まりなんです。
常識・経験にとらわれるのではなく、
自分が今必要なこと、大事だと思うこと、こうしていきたいということを
素直に受けとめそれに必要なことを行動していくことが大事だと私は思います。
自分の中の常識・ルールにとらわれる必要はない。
自分の気持ちを大事に。
必要な行動をすればいい。