愛とは与えることから全てはじまる。貰うのを待つより与えよう!
愛情ってすごい生きていく中で大事ですね。
大切な人からはもちろんのこと、そうでない人からでも愛されたいものですね。
そんな愛ですが、何もしなくても貰える愛ってほぼありません。
何もしなくても貰える無償の愛は両親や家族から貰える愛だけだと思います。
家族以外から愛を貰うためには、まず何かを与えなければならない。
普通に接したり、いるだけで心配してもらったり好意を貰って愛情を貰える場合もありますが、そういうケースは比較的少ないです。
誰かを楽しませたり、気を使って心配したり、誘ってみたり、喜ぶことを一緒にしてみたり、何かをあげたりなど・・・
何かをやってあげる、一緒にいてあげる、気にしてあげることによって愛を他人に与えることができます。
その愛を受け取った人がどう動くかはその相手次第です。
もらった愛が自分にとって価値があまりないものであれば変化もありません。
でももらった愛情が自分にとって大きい存在になっていけば、もっと関わりたいなって思ったり、自分からも何かしてあげたいな、愛をあげたいなって言うように気持ちが変わっていくのではないでしょうか。
愛を貰うことによって人の気持ちは変わっていく。
だから人を変えるにはまず愛を与えることから。
愛を与えることからすべてが始まる。。。
誰かに何かを与えることで何かが変わるかもしれない。。。
待っていても変わらない。変わるのを運で待つのはやめよう。
好きな人・気になる人・大切な人・すべての人に愛を与えよう!
どんな最悪な日でも見方を変えれば幸せな日・価値のある日
大金の入った財布を落とした・・・。
数か月毎日残業して頑張った仕事のプロジェクトに失敗した・・・。
2年付き合ってラブラブだった彼女に振られた・・・。
道を歩いていたら車が横切って水溜りの水がいっぱいかかってびちゃびちゃ・・・。
ほんま最悪・・・。
マジか~。どうしよう。。。
現実逃避したい・・・。
やりきれない想いになるほどのすごく嫌な日、時々ありますね(^_^;)
でもそんな嫌なことが起こった日でも幸せな日な方だと思うんです。
どんなに嫌なことがあったとしても元気でいれば、生きていれば次があると思うんです。
元気でいれば、生きていれば・・・
失敗したことをまたやりなおすことができるし、修復ができなくてもまた違う別の事を新しく挑戦をすることだってできます。
今回嫌なことが起こっただけでこれから起こる先の未来をまだまだ変えることができます。
でも死んでしまったり、あと余命残りあとわずかの宣告を受けている状態だとした場合、何もできなかったり、やったとしてもできることが大きく制限されていたりすることとなります。
今あなたはそんな状態でしょうか?
ほとんどの人がこのような状態ではないと思います。
どんなに嫌だな~ということが起きたとしても死んでしまったり、余命があと少しの状態と比べるとすごく幸せな日だと私は思います。
嫌なこと・失敗したこと、、、
その日・その時はダメージが深く嫌なもの。
でも時間が経てばその嫌なこと自体も自分の経験値となり、新しいことの糧にできたり、笑い話として話のネタとして話すことだってできます。
普通に過ごしていたり、頑張っていても全部うまくいくとは限らない。成功するとは限らない。
嫌なことが起きること・失敗することはしょうがないこと。むしろ嫌なことや失敗するのは生きていれば当たり前に起こること。
人生は障害物競争。
生きてさえいれば、元気でさえいれば幸せ。
嫌なことがあってもネタになる。これからにまた活かせる。
今年中・来年までにと悩んでることは今すぐにやりましょう!
悩むということはそれだけ興味のあること、大切に思っていること。
どうしようかしっかり悩んで結論を出せばいい。
でもその悩みの実施タイミングはしっかり考えるべきだと思う。
その悩みは5年後でも別にいいものか?10年後でも別にいいものか?
悩みの多くは今やらないといけない事。
今どうしようかと考えているものな気がします。
5年後、10年後の先でもいいくらいの今やる必要のないものならいいのですが、今年中にまたは来年までにはやっておきたいというようなものなら迷わず今やっておくべきです。
今年中・来年中にと考えているにも関わらずおそらくやらないという決断がでそうなもののなら、そこまで大切にも思っていないもの。
そのくらいの想いのものなら、いっそのこと自分の頭のやりたいことリストの中から消去してしまってもいんじゃないかなと僕だったら思います。
5年先・10年先というようなけっこう先でもいいものはその目標に向かいながら頭の片隅に。
でも今年中・遅くても来年中に叶えたい・やりたいということは今のうちに。
お金を払えばできるっていうようなことでも売り切れになったり、杯盤になったり、中止になったり、退職したり、物理的にできないっていうことも十分にありえる。
今できることは今すぐにやろう。
できなくなる前にはやく。
今できるうちに。
やりたいことはいつやるか?
今でしょ。
あたりまえなことは実はすごく幸せなこと
今あたりまえにできていることは本当はすごく幸せなこと
- 朝歯磨きをすること
- おいしいご飯を食べること
- 街へでかけること
- 彼女とドライブすること
- 家族と今日あった出来事を話すること
- 何気ない出来事を友達にLINEすること
- 朝起きてあくびをすること
日常生活においていろんなあたりまえなことがある。
あたりまえすぎてそれができたころで別に幸せになんかなれないって思うかもしれない。
でもそのあたりまえがなくなった時、できなくなったとき、今までのあたりまえがどんなに価値のあるものだったか気づく。
たいしたことではないけど、ぽっかり穴があいたような。簡単にできていたことなのに、こんなに大変なのかと。
日常生活を繰り返していくとあたりまえのことに慣れてしまいありがたみを感じなくなる。
あたりまえのことでもそれすらできない人は普通にいる。
自分は簡単にできても他の人にとってはあたりまえじゃないこともある。
あたりまえに今できていることでも「できる」「できている」ことに感謝しよう。
今あたりまえにできていてもずっとあたりまえにできる保証なんてない。
そう口の中にできた口内炎に痛い痛い・・・と思いながら歯磨きをしていて思いました。
単に普通に歯磨きできるっていうことだけでもありがたいこと。
歯磨き粉がしみて痛いです・・・。
損をしても今挑戦し続けることで成功・得に変わる
今日1万円も使ったのに、収穫0。
今日はお金をドブに捨てたようなものだった・・・。
そんな風にまた今日も損したなって思う日ありませんか。
損するのは嫌ですよね。
ただ損をするのにも2種類あるように僕は思います。
1つはやってみて成果がまったくなかったもの。
もう1つはやらなくて損をしたというもの。
同じ損でもけっこうな違いがあるように思います。
やってみて成果がでなかったというのはお金や時間を投資したのにもかかわらずうまくいかなかったもの。
ただうまくいかなくても、成果が出なくても「やってみた」という経験値が手に入ります。
やってみようと思ったり、気にはなっていたけど、お金や時間を投資せず挑戦なくしてうまくいかなかったもの。
お金や時間は減ってはいかないけど、やってみたという経験値。新しい発見という経験値が手に入りません。
同じ損でも僕はやらないことによる損失はけっこう大きいように思います。
たしかにその時のお金や時間は減らないけど、「その時の時間」に戻ることはどんなに頑張ってもできない。
25の時にやろうかなと思っていたこと。
同じやりたいと思ったことでもそれを30の時にやるのか25の時にやるのかでは大きく違ってくる。
本当はもう少し楽にできたはずなのに・・・。あのときにやりたかったのに・・・。
あの時挑戦してたら今よりうまくいってたと思うのに・・・。
お金・時間・体・勇気の投資は早ければ早いほど価値があるものだと思う。
1万円投資してまったく0の成果の時だってあるだろう。
でもその年齢の時にできることならやっておいてきっと正解
ちょっと無理することでできることならやっておいたほうがきっといい。
10年後にその1万円の投資をしても価値が無かったり、1万円では足りなかったり、同じ境遇では成果が体感できない。
・1万円投資しても成果は0かもしれない
・10万円投資しても成果は0かもしれない
・10回行動しても成果は0かもしれない。
・100回行動しても成果は0かもしれない。
何回行動したら確実に成果が出るというのは分からない。
1回で出るかもしれないし、1000回で出るかもしれない。
自分が考える理想の成果はやってみないとわからない。
たとえ成果が0でも、意味がないことは絶対にない。行動することによって経験値は少なからず手に入る。
その手に入れた経験値を利用してまた新しく試行錯誤することによって2回目の成果が出る確率が少なからずアップする。
成果はなくても行動すれば次の挑戦成功率はアップする。
だから成果が出なくてもやりたいこと、やってみようと思うことには投資しよう・行動しよう。時間をかけてでも。
今日がうまくいかなくても、きっと明日・次はうまくいく。
経験値を手に入れてレベルアップしながら。
1年後、レベル3で過ごすのか?レベル30で過ごすのかは自分次第。
人は平等ではない。頑張ってもできない。でもすぐあきらめないで!
人はみな平等ではない。
1回聞いただけでなんなくこなすことができる人もいれば、10回聞いてもいまいちよくわからず全然できない人もいる。100回聞いてやっとぼちぼちできるようになったり。
体のケアをまったく何もしなくても肌がきれいで細くきれいな顔立ちの人もいれば、洗顔・栄養・エステなどのケアをしっかりしても肌がブツブツ、痩せない、顔立ちがよろしくない人もいる。
スムーズにこなすことができる人は短時間・少ない予算でなんなくこなせる。
スムーズにできない人は早くやろうと思っても長時間かかるし、予算もたくさんかかる。
同じ人だけど、人は平等ではない。悲しいけどそれが事実。
人の権利は平等とされているけど、それぞれの個人が持つ能力には差がある。
向いてるもの、向いてないものが人にはある。
ただどんなことでも挑戦や努力をし続けてみることで、確実にレベルアップ、改善は少なからずすることができる!
他の人よりもレベルアップの速度は遅いかもしれない。他の人の倍やっても他の人よりもなかなかうまくなれないかもしれない。
でもやればやるほど、実践することにかかわればかかわるほど、実践したことに対する内容には誰よりも詳しくなる。
何かをやってみるときのスタートラインにたった時点でその持つ能力には人それぞれの明確な差がある。またそれを改善していくスピードにも個人差がある。
向いている人はやればやるほどレベルアップするからそのままどんどんやっていけばいい。
向いてない人はスタートの時点でお世辞にも言えないほどズタボロ。アドバイス・コーチを受けてもいまいち。1回。2回。3回。。。。10回やってもまだまだいまいち。
でも100回。1000回と試行錯誤を繰り返してアドバイス・コーチなども受けながらやっていけば形にはなってくる。
こんな簡単なことに1000回もかかるなんて向いてないって言われるかもしれない。
でもそれだけの時間・回数・お金・肉体をかけて実践していけば人並みまたはそれ以上のレベルアップすることはきっとできる。
人は平等じゃない。生まれながらにして平等ではない。
そう思う。
だけど、改善する挑戦することを辞めなければ人並み、またはそれ以上にきっとなれる。
1回・2回でできるなんてラッキーすぎる。
10回でダメなら100回。100回でダメなら1000回やればいい。
それだけやれば向いてない事でもきっとできるようになる。
人は平等じゃない。だけど、試行錯誤して繰り返して実践していけばレベルアップはしていく!
だからすぐにあきらめずに、しばらくはやってみよう!きっとできる!きっとうまくいく!
今日はウォーキングをしながらこんなことを考えてました。
長文読んでいただきありがとうございました!
あんなに嬉しかったのに。量が増えるとありがたみを感じにくくなる
すごい大切なものや価値あるものだとしても量が増えたり大きくなりすぎてしまうとそのありがたみを感じにくくなるように最近思うんです。
いくつか例をあげてみます。
①お金
・毎月お小遣い1万円貰っている状態で特別に1万円多く貰うのはかなりうれしい。
でもお小遣いとして毎月100万貰っている状態で1万円もらってもさっきよりはうれしさが少ない。
②部屋の間取り
・今住んでいる間取りが1DKで新しく2DKの部屋に引っ越すと広くなってうれしい。
でももともと5DKの部屋に住んでいる状態で6DKになってもさっきよりはうれしさが少ない。
③告白される人数
・普段告白されないけど、すごくかわいい子に告白されたらすごくうれしい。
でもすごくかわいい子に毎日のように入れ替わり立ち代わりたくさんの人に告白されるとうれしさは少ない。
④メールをくれる回数
・忙しくてなかなかメールができないけど、1日1回きちんとしたメールをくれるとうれしい。
でも1時間おきに現状報告のようなメールをもらうと1日1回と比べるとうれしさは少ない。
⑤目的地への距離
・今から10km先のお店に買い物に行ってと言われていかないといけなくなると遠く感じる。
でも目的地300km先の目的地に向かっている場合その目的地が310kmになってもさほど遠く感じない。
上記の例があっているかどうかはよくわからないけど、量が増えれば増えるほどすごいこと、うれしいことには間違いないかったりするけど、量が増えすぎると小さい量が増加しても変化が少なすぎてその「本来の良さ」を感じにくくなってしまうことがあるように思います。
普段から取り扱っている量がすごく多いと小さい変化には気づけないようにマヒしてしまいます。
本来小さなものでもすごく大事なこと、価値あることなのに。
今回のいいたいことは
自分が扱う量が増えたとしても初心を忘れないことです。
0から1。1から2にする基本的なことが何よりも価値があり大事だいうこと。
大きな変化・小さな変化どちらも価値がある。
ただ大きな変化に慣れてしまうと小さな変化が感じられなくなる。
小さな変化でも本来すごくうれしいもの。
もっともっとうれしさ・すごさを感じるのなら
小さい変化を感じるようにすること・小さなことでも感謝すること。
自分が扱う量が多くなってきたこそ量に惑わされないように。
お金を貰うこと自体。
金額が多くても小さくても給料など貰えることは感謝できるもの。
愛情をたくさんもらうことはあたりまえじゃない。
気にしてもらうことだけでもありがたいこと。
もらうだけじゃなくて自分からも返そう。
小さなものでも大きなものでもプラスの変化が生じるものはどちらも大事なもの。
大きさではない。量ではない。間違えてはいけない。
今大切な人・大好きな人に会えるというのは本当に幸せなこと
あなたは大切な人と日頃から会うことができていますか?
一緒に住んでいるのであれば苦なく毎日顔を合わせることができるけど、大切な人でも県外や海外など距離が遠くなると時間の都合が合わずに会うことができなかったりして疎遠になっていきます。
ただいずれの理由があったとしても
「会うこと」ってすごく大事なことに先日気づかされました。
会って何をするっていうことでもないんです。
ただ会って顔を見るだけ、会話をするだけ。
それだけですごく価値があるのだと。。。
先日私は両親を連れて800~900kmほど離れた場所に行きました。
そこの場所には父親の大親友が住んでいて30年ぶりに会いたいということなので、是が非でも会ってもらいたいと思い、800~900km車を走らせていきました。
そして待ち合わせをしていた場所に着いて会った瞬間!
おーーー!ひさしぶりーーー!みたいな感じで
テンションあがって盛り上がりました。
30年も経てば話すこと。変化もたくさんあり。話は尽きない感じでした。
やっぱり会うってことは大切だなって思っていたのですが、
やがて会話は・・・
「昔やんちゃで喧嘩番長だった●●が亡くなったんだよ。」
「えーーー!うそー。あいつが?」
「みんなのアイドルだったあの子も亡くなったし。」
「えっなんで何が原因だったの?」
「病気で。。。」
「そうか。。。」
このような亡くなったという話も尽きませんでした。
父親の年齢は60代半ば。私の年齢は30代。
30代の私からしてみればまだまだ友人が亡くなるということは比較的少ないですが、60代に突入している父親からしてみれば徐々に亡くなっている方も多くなっています。
30代のうちから60代の心構えが必要かと言われればそうではないと思いますが、本当にいつどうなるかなんて正直分かりません。
もしかしたら明日交通事故で話すこともできなくなったり、亡くなったりするかもしれない。
もしかしたら突然の病気で危ない状況になるかもしれない。
もしかしたら・・・。
今生きているという事実があれば少なくとも今は必ず会えます。
でも1年後。2年後。10年後はもう会えないのかもしれない。。。
完全に会えなくなってからはどんなに時間を作っても、どんなにお金を用意しても会えません。
少なくとも日常生活において大切な人というのは日頃から会っていることは多いと思いますが、何かの拍子で会わなくなった、疎遠になったという人というのは気を付けないともう一生会えない可能性があるというのを忘れてはいけない。
そう今回の旅で気づきました。
もう一生会う必要もないと思うような人ならいいかもしれないけど、
もう一度会いたいと思っている人がいるのなら会えなくなる前に会うことが大切なように思います。
亡くなったら心の中にはいるかもしれないけど、
現実で顔を合わせることはどんなに頑張ってもできません。
「会うこと」ってすごく大切なこと。
「何をする」っていうのでもなく。ただ会うだけでいい。
「今会える」「毎日会える」っていうのはとても幸せなこと。
大切な人・大好きな人には惜しまずに会うようにしよう!
ちゃんとありがとうって伝えてますか?うれしかったら素直に伝えよう
ちゃんとありがとうって普段伝えてますか?
「ありがとう」
たったこの5文字を伝える伝えないで雲泥の差。
ほとんどのことがありがとうって言ってもらうために何かをするわけではないだろうけど、やっぱり言われるだけで言われた方はうれしい。
面と向かってでなくてもいい。
LINEでも。メールでも。手紙でも。
なんでもいい。
ありがとうって伝えること。感謝の言葉を伝えることはとても大事。
うれしかった思いは共有できる。
うれしかった思いを相手に届けると相手はその倍もっと喜んでくれる。
どんなときでも「ありがとう」を伝えよう!
ここまで読んでくれてありがとうございました!!