人は平等ではない。頑張ってもできない。でもすぐあきらめないで!
人はみな平等ではない。
1回聞いただけでなんなくこなすことができる人もいれば、10回聞いてもいまいちよくわからず全然できない人もいる。100回聞いてやっとぼちぼちできるようになったり。
体のケアをまったく何もしなくても肌がきれいで細くきれいな顔立ちの人もいれば、洗顔・栄養・エステなどのケアをしっかりしても肌がブツブツ、痩せない、顔立ちがよろしくない人もいる。
スムーズにこなすことができる人は短時間・少ない予算でなんなくこなせる。
スムーズにできない人は早くやろうと思っても長時間かかるし、予算もたくさんかかる。
同じ人だけど、人は平等ではない。悲しいけどそれが事実。
人の権利は平等とされているけど、それぞれの個人が持つ能力には差がある。
向いてるもの、向いてないものが人にはある。
ただどんなことでも挑戦や努力をし続けてみることで、確実にレベルアップ、改善は少なからずすることができる!
他の人よりもレベルアップの速度は遅いかもしれない。他の人の倍やっても他の人よりもなかなかうまくなれないかもしれない。
でもやればやるほど、実践することにかかわればかかわるほど、実践したことに対する内容には誰よりも詳しくなる。
何かをやってみるときのスタートラインにたった時点でその持つ能力には人それぞれの明確な差がある。またそれを改善していくスピードにも個人差がある。
向いている人はやればやるほどレベルアップするからそのままどんどんやっていけばいい。
向いてない人はスタートの時点でお世辞にも言えないほどズタボロ。アドバイス・コーチを受けてもいまいち。1回。2回。3回。。。。10回やってもまだまだいまいち。
でも100回。1000回と試行錯誤を繰り返してアドバイス・コーチなども受けながらやっていけば形にはなってくる。
こんな簡単なことに1000回もかかるなんて向いてないって言われるかもしれない。
でもそれだけの時間・回数・お金・肉体をかけて実践していけば人並みまたはそれ以上のレベルアップすることはきっとできる。
人は平等じゃない。生まれながらにして平等ではない。
そう思う。
だけど、改善する挑戦することを辞めなければ人並み、またはそれ以上にきっとなれる。
1回・2回でできるなんてラッキーすぎる。
10回でダメなら100回。100回でダメなら1000回やればいい。
それだけやれば向いてない事でもきっとできるようになる。
人は平等じゃない。だけど、試行錯誤して繰り返して実践していけばレベルアップはしていく!
だからすぐにあきらめずに、しばらくはやってみよう!きっとできる!きっとうまくいく!
今日はウォーキングをしながらこんなことを考えてました。
長文読んでいただきありがとうございました!
あんなに嬉しかったのに。量が増えるとありがたみを感じにくくなる
すごい大切なものや価値あるものだとしても量が増えたり大きくなりすぎてしまうとそのありがたみを感じにくくなるように最近思うんです。
いくつか例をあげてみます。
①お金
・毎月お小遣い1万円貰っている状態で特別に1万円多く貰うのはかなりうれしい。
でもお小遣いとして毎月100万貰っている状態で1万円もらってもさっきよりはうれしさが少ない。
②部屋の間取り
・今住んでいる間取りが1DKで新しく2DKの部屋に引っ越すと広くなってうれしい。
でももともと5DKの部屋に住んでいる状態で6DKになってもさっきよりはうれしさが少ない。
③告白される人数
・普段告白されないけど、すごくかわいい子に告白されたらすごくうれしい。
でもすごくかわいい子に毎日のように入れ替わり立ち代わりたくさんの人に告白されるとうれしさは少ない。
④メールをくれる回数
・忙しくてなかなかメールができないけど、1日1回きちんとしたメールをくれるとうれしい。
でも1時間おきに現状報告のようなメールをもらうと1日1回と比べるとうれしさは少ない。
⑤目的地への距離
・今から10km先のお店に買い物に行ってと言われていかないといけなくなると遠く感じる。
でも目的地300km先の目的地に向かっている場合その目的地が310kmになってもさほど遠く感じない。
上記の例があっているかどうかはよくわからないけど、量が増えれば増えるほどすごいこと、うれしいことには間違いないかったりするけど、量が増えすぎると小さい量が増加しても変化が少なすぎてその「本来の良さ」を感じにくくなってしまうことがあるように思います。
普段から取り扱っている量がすごく多いと小さい変化には気づけないようにマヒしてしまいます。
本来小さなものでもすごく大事なこと、価値あることなのに。
今回のいいたいことは
自分が扱う量が増えたとしても初心を忘れないことです。
0から1。1から2にする基本的なことが何よりも価値があり大事だいうこと。
大きな変化・小さな変化どちらも価値がある。
ただ大きな変化に慣れてしまうと小さな変化が感じられなくなる。
小さな変化でも本来すごくうれしいもの。
もっともっとうれしさ・すごさを感じるのなら
小さい変化を感じるようにすること・小さなことでも感謝すること。
自分が扱う量が多くなってきたこそ量に惑わされないように。
お金を貰うこと自体。
金額が多くても小さくても給料など貰えることは感謝できるもの。
愛情をたくさんもらうことはあたりまえじゃない。
気にしてもらうことだけでもありがたいこと。
もらうだけじゃなくて自分からも返そう。
小さなものでも大きなものでもプラスの変化が生じるものはどちらも大事なもの。
大きさではない。量ではない。間違えてはいけない。
今大切な人・大好きな人に会えるというのは本当に幸せなこと
あなたは大切な人と日頃から会うことができていますか?
一緒に住んでいるのであれば苦なく毎日顔を合わせることができるけど、大切な人でも県外や海外など距離が遠くなると時間の都合が合わずに会うことができなかったりして疎遠になっていきます。
ただいずれの理由があったとしても
「会うこと」ってすごく大事なことに先日気づかされました。
会って何をするっていうことでもないんです。
ただ会って顔を見るだけ、会話をするだけ。
それだけですごく価値があるのだと。。。
先日私は両親を連れて800~900kmほど離れた場所に行きました。
そこの場所には父親の大親友が住んでいて30年ぶりに会いたいということなので、是が非でも会ってもらいたいと思い、800~900km車を走らせていきました。
そして待ち合わせをしていた場所に着いて会った瞬間!
おーーー!ひさしぶりーーー!みたいな感じで
テンションあがって盛り上がりました。
30年も経てば話すこと。変化もたくさんあり。話は尽きない感じでした。
やっぱり会うってことは大切だなって思っていたのですが、
やがて会話は・・・
「昔やんちゃで喧嘩番長だった●●が亡くなったんだよ。」
「えーーー!うそー。あいつが?」
「みんなのアイドルだったあの子も亡くなったし。」
「えっなんで何が原因だったの?」
「病気で。。。」
「そうか。。。」
このような亡くなったという話も尽きませんでした。
父親の年齢は60代半ば。私の年齢は30代。
30代の私からしてみればまだまだ友人が亡くなるということは比較的少ないですが、60代に突入している父親からしてみれば徐々に亡くなっている方も多くなっています。
30代のうちから60代の心構えが必要かと言われればそうではないと思いますが、本当にいつどうなるかなんて正直分かりません。
もしかしたら明日交通事故で話すこともできなくなったり、亡くなったりするかもしれない。
もしかしたら突然の病気で危ない状況になるかもしれない。
もしかしたら・・・。
今生きているという事実があれば少なくとも今は必ず会えます。
でも1年後。2年後。10年後はもう会えないのかもしれない。。。
完全に会えなくなってからはどんなに時間を作っても、どんなにお金を用意しても会えません。
少なくとも日常生活において大切な人というのは日頃から会っていることは多いと思いますが、何かの拍子で会わなくなった、疎遠になったという人というのは気を付けないともう一生会えない可能性があるというのを忘れてはいけない。
そう今回の旅で気づきました。
もう一生会う必要もないと思うような人ならいいかもしれないけど、
もう一度会いたいと思っている人がいるのなら会えなくなる前に会うことが大切なように思います。
亡くなったら心の中にはいるかもしれないけど、
現実で顔を合わせることはどんなに頑張ってもできません。
「会うこと」ってすごく大切なこと。
「何をする」っていうのでもなく。ただ会うだけでいい。
「今会える」「毎日会える」っていうのはとても幸せなこと。
大切な人・大好きな人には惜しまずに会うようにしよう!
ちゃんとありがとうって伝えてますか?うれしかったら素直に伝えよう
ちゃんとありがとうって普段伝えてますか?
「ありがとう」
たったこの5文字を伝える伝えないで雲泥の差。
ほとんどのことがありがとうって言ってもらうために何かをするわけではないだろうけど、やっぱり言われるだけで言われた方はうれしい。
面と向かってでなくてもいい。
LINEでも。メールでも。手紙でも。
なんでもいい。
ありがとうって伝えること。感謝の言葉を伝えることはとても大事。
うれしかった思いは共有できる。
うれしかった思いを相手に届けると相手はその倍もっと喜んでくれる。
どんなときでも「ありがとう」を伝えよう!
ここまで読んでくれてありがとうございました!!